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痛みと対話しようとする姿勢。

 左の肩のあたりがみょうに痛い。

 朝起きてからずっとだ。気持ちのよい青空のした洗濯物を干していても、うちの奥さんと一緒にアカチャンホンポに行ってベビーカーを押してみたり、抱っこ紐を装着してみたりしていても、痛みと重さのあいだのような違和感がまとわりついている。右肩はなんともないのになぁ。年末なのにまったくもぅ、なんて道端の石ころを蹴っ飛ばしたくもなる。

 ただ一方で、僕はどこかに痛みがあるとき、そこには何かのメッセージがあるのかな、と薄ぼんやりと考えるようにもしている。べつに背中に霊がおぶさっている的なトンデモ話などではなく、たとえば昨日なにか重いものを持ち上げなかったっけな、と思い出すことだってそうだ。

 お腹を壊したときのことを考えるとわかりやすい。つい先日も「うう…痛い…」とお腹を抱えていると、背中のほうから奥さんの声が聞こえた。「お腹冷やしたんじゃないの?」僕は答えた。「いや、たぶん昨日( お酒を ) 飲みすぎたせいだと思う。うぅ…」顔をゆがめる。

 違和感や痛みの裏には、何かしらの原因があるはずだ。お腹の痛みよりは原因がわかりにくいかもしれないが、肩の痛みとか頭痛などにも何かしらの原因なり理由がある可能性が高いということになる。

 だからといって、頭で痛みの原因を探すことはあまりしない。僕の場合、右手で左肩あたりをおおう。目をとじて左肩をゆっくりとさする。むしろ頭のなかの声には黙っておいてもらうように注意しているくらいだ。そうすると、痛みの原因は言語化できないだろうが、それでいい。ちなみに、痛みに治ってほしいとも声をかけない。

 痛みを抱えている肩の声なき声に耳をかたむけることが大事だと考えているからだ。だからといって、すぐに痛みはひいてくれるわけではない。けれども僕は、まずはそれでいいと思う。

 痛みと対話しようとする姿勢。そこから、はじめたいから。

※ 皆さま、もちろんすでにおわかりではございますでしょうが、この文章は医学的な知見にもとづくものではございません。何卒ご了承のほど、よろしくお願いいたします。ひどい痛みや長く続く痛みの場合にはご自身の自己責任でご判断くださいませ。

追伸、、、
 このような体と対話する姿勢は、カイロプラクティック・エネルギーヒーリング・心理学・筋反射学を融合した他にないコーチングを提供している三上隆之さんの考え方に影響を受けています。「体の調子なんて関係ねー」と滅茶苦茶に働きつづけたのが前世のように遠い昔な気がします。( ただし、上記の原稿内容は三上さんの考え方と異なる部分も多く含まれていますのでご注意ください )

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レット・イット・ビー
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物書き、編集者。年内フォロワー1万人を目指してます。応援よろしくお願いします。小説集『ブンガクフリマ 28ヨウ』に短編小説が掲載。自分らしく生きるためのメルマガを月額400円で配信中。ツイッター:https://twitter.com/hiroomisueyoshi
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