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心から大晦日にふさわしくないと思う、そんなお話。

 この一年、ほんとよく頑張ったな。

 そう、自分をほめてあげたい。

 いつもよりも長めに父の遺影の前に座って目を瞑っていた。線香の匂いが鼻の奥へと届いてくる。まぶたの裏にこんな風景が浮かんできた。

 病室のベットに横になった父。機械につながれ規則的に胸が上下にうごく。ごつごつした大きな手をにぎって、もう口を聞くことはかなわない父に向かって話しかけていた。二度と目をひらくこともない。

 こうして文章を書いていても、まだ胸がつまる。涙がにじんでくる。パーカーの袖でなんども両目をぬぐう。自分のなかにある喪失感や痛みが疼きだすのを感じる。まだまだ癒されていない痛みが莫大に眠っていることを思い出させれた。そうして、思った。

 ほんとうは、この場所にいて、文章を書かないといけないんだ、いや書きたいんだ。それは父が亡くなったことを思い出しながら、などという具体的な話ではない。ほんとうの感情が眠っている奥深い場所にまで穴を掘り降りていって、そこで文章を書く、ということをしたいんだと気がついた。

 そうして、この場所にきてみて、思う。言語化がむずかしいのだ。論理的できれいにまとまった言語化は、なおのことむずかしい。今日の分の原稿も時間内にきれいにまとめられる気がしない。大晦日だというのに、やれやれ。でも仕方がない、これは自分なりの正直さの問題だから。

 僕はまだまだ誰かに( できればたくさんの人に )ウケたい、いいと思ってもらいたい、そんな風に人の目を気にしながら書いている。そのためには、できるだけ誰かの役に立つものを書かなくてならない。そういう思いがある。

 あとは、自分の奥深くに降りていって物を書くのが怖いと怯えている僕もいる。その途中にはカオスがあり、凶暴な何かだって潜んでいるかもしれない。見たくもない自分を直視しないといけないかもしれない。でもその奥にはより繊細で、より柔らかくて、ほんとうに大切なものが眠っていると信じている。

 またそれを形にして、誰かに手渡しても気に入ってもらえるかどうかなんてわからない。もしかしたら、けちょんけちょんにけなされるかもしれない。ボロクソに否定されるかもしれない。そうしたら、ひどく傷つくだろう。

 だから、僕はそこに行くのが怖かった。ためらっていた。きっと、そうだと思う。加えてこうも思う。そんなのをここに書くなよ、と。そういう場所には自分ひとりで行って、そこから持ち帰ってきた、もしくは創り上げたものだけを手渡してくれよ、と。

 わかる。僕だってそう思う。なんなら、そういうのって、かっこよくないし、みっともないじゃないかとさえ思う。だけれど、こうした過程まで丸ごと共有して行くという在り方だってありなんじゃないか。そう微かに、でも確かに感じるから、その感覚を信じていく。

来年はそういう挑戦をする、わがままな自分を思いっきり許してあげよう。

 いやはや、自分でも何を書いているのか、よくわからなくなりました。ただね、これが2018年の大晦日に僕によって書かれるべき内容だったのだと信じています。よくぞここまでお付き合いくださいました。

 今年も一年間、ありがとうございました。

 また元旦の明日も書きますけどね。

 よいお年をお迎えください。

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なんだかんだ、人生うまくいく!
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物書き、編集者。年内フォロワー1万人を目指してます。応援よろしくお願いします。小説集『ブンガクフリマ 28ヨウ』に短編小説が掲載。自分らしく生きるためのメルマガを月額400円で配信中。ツイッター:https://twitter.com/hiroomisueyoshi
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