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noteは息継ぎをする場所。

読者のみなさんの目にどんな風に映っているかはわからないけれど、僕は比較的スポーツ万能なほうだ。本ばっかり読んでいるからだと思うが、奥さんからは根っからの文化系に見られていた。し、これは奥さんに限らず十中八九そんな風に見られてきた印象がある。そんな隠れスポーツ万能な僕が苦手だったスポーツのひとつが水泳であった。

昔好きだった女の子と成人してからお酒を飲んでいるときに言われた。「ひろってさ、水泳の授業中にプールから顔をあげた瞬間、必死に顔から水を払ってたよね」ドキッとした。まさかそんなことがバレていたとは。どんだけ必死やったや、おれよ…。お酒で真っ赤な顔をいっそう赤く染めたのを覚えている。

水泳で何が嫌いかって、兎にも角にも息継ぎだ。バシャバシャと泳いでいて、ときどき水面に顔を出してプハァとやる、あれである。小、中、高と(、、、って、あれ? 高校で水泳ってあったっけ? と記憶からその存在を消し去るくらいに好きではない)けっきょく最後まで息継ぎが上手くならなかった。

泳ぐ際に余分な力が入りすぎていて、息継ぎするときに十分な酸素を吸うことができなかったのかもしれない。だから、長い距離を泳ぐことができなかったのだ。どうしても。

逆に全体的な運動神経は僕よりもよくない友人で息継ぎがうまい人がいたが、いつまでも楽々とすーいすぃ泳いでいた。

ということで、noteの話に戻ろう。僕にとってnoteを書くということは、息継ぎのようなものなんじゃないかと思った。どうしてこんなことを思ったのかも、思いついた時間も場所も覚えていない。ただメモにひと言ぽつんと書かれていたのを膨らませていまに至る。

小説や本の原稿ばっかり書いていると息がもたなくなってくる。そんなときにnoteを書いてプハァと空気を吸ってからまた泳ぎだす。

毎日1回ひとかたまりの文章を発表するという、規則的で等間隔なnoteのペースやらスタイルみたいなものが個人的には合っていると感じているようだ。

もう少し具体的な話をすると、定期的に読者のみなさんとのつながりを感じられるということが大切なようでして、そうすることでこそ時間のかかる大きな作品の創作に向かっていけるのではないかと考えている。

とはいえ、noteに力を入れていないというわけではない。息継ぎも水泳の大事なプロセスのひとつ。というか、それがなければ泳ぎは成立しないと言ってもいいくらいだ。

プハァ。

息継ぎ完了。

また原稿に戻ります。

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末吉 宏臣

物書き、編集者。年内フォロワー1万人を目指してます。応援よろしくお願いします。小説集『ブンガクフリマ 28ヨウ』に短編小説が掲載。自分らしく生きるためのメルマガを月額400円で配信中。ツイッター:https://twitter.com/hiroomisueyoshi
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