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子育ての犠牲感は、どうやったらなくなるんですか?

 今日はいちにち、子守りの日。妻はイベントに参加していて、その控え室で娘とふたりで過ごしています。さっきまで娘とお話ししていました。いつもと違う部屋だからかあたりをキョロキョロ。ご機嫌なようでなによりです。こんなふうに週の半分かそれ以上を、娘と一緒に過ごしています。

 けっこうな育メンであることを自負しておりましたそんなある日、こんなふうに質問されました。「子育ての犠牲感はどうやってなくなったんですか?」むむ…深い。そもそも犠牲感がなくなっているかは甚だ疑問ではありますが、一考の価値ありと判断し、考えてみることにしました。

 まずもって出た結論は、犠牲感はなくなってはいない、ということ。急に泣き出すわ、抱っこしないと泣き止まないわ、冷凍おっぱい温めないとだわ、オムツも替えないとだわ、可愛すぎて目が離せないわ、やることいっぱいです。いつのまにか時間だけが過ぎ去っていて、呆然とします。だから、犠牲感と言えるかわかりませんが、大変なことに間違いはありません。

 ただし、子育てのせいで仕事が進まないとか、自分の時間を奪われるといった、本来の意味での犠牲感は少ないほうではないかと思います。それは子育ての大切さをとことん考えて、自分のなかでその重要性が高まったからです。子どもが小さいこの時期に、子育てにたっぷり時間をかけられるなんて、なんと贅沢でしあわせなことだろうとしみじみ思うんですよね。

 今日も読みにきてくださって、ありがとうございます。だからといって、他の男性が子育てに時間をかけたほうがいいと言いたいわけではありません。ただ、なにが大切なのかを見直すことと、本当に大事なものがわかったら、理想を実現するための工夫と努力をすることはやれるといいですね。自分に言い聞かせてます。

 娘が寝ている隙に、せっせと原稿を書き進めています。平成が終わるまえに、それまでやってきた仕事をまとめる意味でも、「オリジナルセミナーづくり」についての本を出版する予定です。〆切をきりつつ、納得のいくまで練りこみます。


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なんだかんだ、人生うまくいく!
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末吉 宏臣

物書き、編集者。小説集『ブンガクフリマ 28ヨウ』に短編小説が掲載されています。年中無休まいにち夜の7時に小文を公開しています。いまより本気で人生と向き合うメルマガを月額400円で配信中です。ツイッターも:https://twitter.com/hiroomisueyoshi

コメント4件

こんばんは。
いつも。考えながら読ませて頂いてます。
子育てと趣味について、ちょうど書こうと思ってました。
自分は独身なので、ん〜と。考えることが、先ほどありまして。趣味のオーディオ部屋を子供部屋に奪われたと言う方の投稿を読んだのです。ある意味、幸せそうな雰囲気がします。自分には考えられません。
趣味が必要なので、しかし、ボクは不幸だな、と思いました。最近、他の方達も。
レコードのコレクションや大切なオーディオ機器の処分を家族に迫られるとか。自分の死後に処分する為に今のうちに処分すると言う話。自分よりも世代が上の方の話を聞いて。。。考えてしまいました。
「犠牲感」という時点で、その考えの主役は自分なんです。子育ては「子供が主役」。自分を犠牲にすることが全く自然で苦にならず、当たり前であることを分かっていることです。
目を離したり、放棄したら、即「死」に繋がるのが子育て。
人の命を預かるという重大な役目を全うできるかどうか。ある意味試されている時間です。

子育ては自分育てでもあります。
人生の貴重な一瞬を存分に味わってください。(*^^*)
モンゴロイドさん、
ほんとに人それぞれで、わかりやすい答えみたいなものはない気がしてきますよね。だから僕も、僕のことを書くしかないと書いています。それをもとに考えるきっかけになれば、と。なので、モンゴロイドさんの考える機会なったようでうれしいです^ ^
ベッチーさん、
ううむ…なるほどです。
あらたな視点をもらった感じがします。
自分なりに思考を停止させず、さらに頭だけでは考えない、という姿勢で臨みたいと思いました。はい、この瞬間、時間を大切にしていきます^ ^
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